単行本刊行時 著者インタビュー
明治三十五年(一九〇二)一月二十三日、青森歩兵第五聯隊第二大隊が雪中行軍演習を実施すべく、八甲田山中にある田代を目指して兵営を出発した。しかし折からの天候悪化により暴風雪が吹き荒れ、山中をさまよった末、百九十九人もの犠牲者を出した。
この「八甲田雪中行軍遭難事件」は世界山岳史上、最多の犠牲者を出した事件として知られ、多くの教訓を後世に残してきた。長い年月を経るうちに、この事件も歴史の中に埋もれつつあった。
それが昭和四十六年(一九七一)、新田次郎氏が『八甲田山死の彷徨』(新潮文庫)を出版し、その後、映画『八甲田山』が大ヒットしたことにより、忘れ去られようとしていたこの事件が脚光を浴びることになる。
それからちょうど五十年。再びこの事件を取り上げた意義を、著者の伊東潤氏に聞いてみた。
名作の誉れ高い新田次郎氏の『八甲田山死の彷徨』が出版されてから五十年目という節目となる今年、本作を発表することになりましたが、どのようなきっかけや経緯で執筆することになったのですか
二〇一八年の五月頃、「中央公論」誌での連載を依頼され、「何を書こうか」ということになり、当時の編集長と私の編集担当と三人で打ち合わせをしました。その時、誰ともなくこの事件の話題になり、調べたところ、二〇二〇年があの名作が出版されて五十年目にあたると知り、「それで行こう」となったわけです(笑)。
『八甲田山死の彷徨』は大学時代に出会って以来、何度も読み返してきた大好きな作品です。ドキュメンタリータッチでありながら血の通った人間ドラマとして、まだまだ読み継がれていってほしいと思っています。ある意味、『囚われの山』は、『八甲田山死の彷徨』に再びスポットライトを浴びてほしいという思いから書いた作品とも言えます。
これで連載の題材は決まったのですが、それからがたいへんでした。
どのようにたいへんだったのですか
この事件は無理な行軍が遭難につながったという単純なものなので、当初は大きな謎などないと思っていました。となると新田氏の『八甲田山死の彷徨』を上回る強烈な人間ドラマにしなければならない。しかし人間ドラマだけで勝負するとなると、どうしても似たような傾向の作品になってしまいます。
仮に雪中行軍隊の軌跡を追っていくという切り口だけで描いたら、いわば同じ登頂ルートで八甲田に登ったら、必ず「何が違うの?」という批判が出てくると思いました。つまりこの題材を「今」取り上げる意義が薄まるのです。
なるほど、その通りかもしれませんね。それでどうしたのですか
こういう時は史料や関連書籍を読み込むと、斬新な発想が出てくるものです。それで図書館に行ったり、古本を買ったりして、史料や書籍を読み込みました。すると二つの謎に突き当たりました。一つは過去の研究家も指摘していたほど大きなものです。しかし軍部の文書の一節を見つけて、それを指摘した本は管見ながらなかった。つまり歴史学的アプローチがなされていなかったんですね。
続いて小さな謎も見つけました。こちらは遭難の確実な情報がない状態でのことなので、取るに足らないものだと思っていましたが、その謎を裏付けるような記録に突き当たったのです。ヒントを言うと、文中に出てくる犬に関する記録ですね(苦笑)。
その二つの謎を見つけましたが、それを「どう描いていくか」という壁は、依然として乗り越えられていませんでした。
過去の名作に現代の作家が挑む際によくある壁ですね
そうです。謎の提示はできても、行軍隊の視点だけでは作風が似てきてしまうので、「さて困った」となったのです。それが連載第一回の締め切り日の二週間ほど前だったので焦りました。こうした時は、何らかの外部刺激が必要です。そんな時、『死に山 世界一不気味な遭難事故<ディアトロフ事件>の真相』(ドニー・アイカー著 河出書房新社)のことを聞きつけ、「ここにヒントがある」と直感的に閃いたのです。
それで『死に山』の中にヒントが隠されていたんですね
はい。この作品は優れたノンフィクションですが、その構成も秀逸です。三つのドラマが入れ子構造になり、並行して進んでいく構成になっています。一つ目が遭難したイーゴリ・ディアトロフたちの足跡、二つ目が捜索隊の状況、三つ目がアイカー本人のパート。これは作家本人がこの事件の謎に挑んでいく過程を書いたパートです。二つの過去パートにアイカー本人の現代パートが組み込まれることで、この事件を重層的に見ていくことができるわけです。
それで私も現代パートを設けることにしました。それが歴史雑誌の編集者たちの人間模様というわけです。仕事柄その世界には通じていますからね(笑)。
それでタイトルの『囚われの山』が、過去と現代で共鳴してくるわけですね
そうなんです。当初は「凍てつく山嶺」というタイトルで、連載もそのタイトルで通しました。ところが連載の途中で、主人公の菅原という編集者も人生という迷路に囚われていると気づいたのです。そこで『囚われの山』というタイトルを思いつきました。
八甲田山に囚われてしまった兵士たちと、人生の袋小路から抜け出せない一人の男というテーマが浮かび上がってきたのです。
具体的には、どのようなお話なのですか
現代を生きる歴史雑誌の編集者が視点人物なのですが、歴史雑誌がこの事件の特集を組むことになり、現地取材に赴いて謎を探っていくうちに、事件にはまっていくという展開です。
そしてもう一人の視点人物が、雪中行軍隊に参加した兵士になります。
構成としては、編集者視点の現代パートと兵士の視点の過去パートの二つになりますが、入れ子構造で交互に出てくるのではなく、大きな「ぶつぎり」にしました。すべてではないですが、それぞれの視点が一つの章になっている感じですね。
ハリウッド映画では編集技術が進んでおり、「どう見せたら一番面白いか」を専門に研究している人がいます。それと同じように、「ぶつぎり」にしたパートをどの順番で提示していけば一番分かりやすく面白くなるかをじっくり吟味した上で、この構成になりました。
確かに主人公の菅原は様々な問題に囚われて、抜け出せなくなっていますね
私が訴えたかったのは、最初のボタンをひとつ掛け違えると、開いた傷口は次第に大きくなり、最後にはリカバリーできなくなるということです。 それは、雪中行軍隊もわれわれの人生も変わりません。正しい判断を下すべき時に、些細な理由から間違った判断を下してしまうことは多々あります。しかしそれが人生全体に悪影響を及ぼし、取り返しのつかないことになってしまうのです。
これは実際の例ですが、株を損切りできずに数千万の損失を抱えてしまった人とか、些細なことで上司と喧嘩し、会社を辞めたはいいが、再就職先が決まらず、離婚してしまった人とかです。
この物語の主人公の菅原も様々なことに囚われて判断を誤り、人生のエアポケットに落ちてしまった人物です。だからこそ八甲田の迷路に囚われた行軍隊に共感し、この事件にはまっていくのです。
当時の軍人たちの考え方がよく描かれているなと感心したのですが、何を参考にしたのですか
具体的に参考とした史料はありませんが、『武士の碑』『走狗』『西郷の首』といった明治物を執筆した際、明治という時代を包括的に学ぶことができたのがよかったのだと思います。明治三十五年という時代の軍人たちのメンタリティは、ちょうど武士の時代のものを引きずりつつも、一部に合理的な考えも浸透し始めているという微妙な時期です。
軍隊特有の「死なばもろとも」という価値観を持つ神成大尉と、「生き残れる者を一人でも多くするための選択」をする倉石大尉は、まさに異なる価値観が交錯する時代の産物です。
なお当時の軍隊についてのノウハウは、軍事ライターの樋口隆晴氏に綿密なアドバイスをいただいたので、極めてリアリティがあると思います。
作中で花を添えているのが編集長の桐野です。彼女を出すことで、華やかさと同時に都会で生きる女性の寂寥感が、うまく醸し出されていると思います
そう言っていただけるとうれしいです(笑)。
少し疲れてきている三十代半ばの女性が桐野です。仕事もできるし、野心も人一倍あります。でも結婚にも憧れている。プライドも高いのですが、「自分の人生、これでいいのか」という思いもある。そんな複雑な心境の女性を描きました。
もちろん私のような武辺者の手には負えないので、官能小説家の蒼井凜花氏にご指導いただき、丁寧に人物造形していきました。時には、蒼井さんから「この手の女性は、こんなこと言いません」と言われ、落ち込みました(笑)。
そしてもう一人、出てくる女性が菅原の奥さんですね
離婚というと不倫が原因の大半だと思われがちですが、統計的には「どちらかに浪費癖がある」という経済問題も、負けないくらい多いんです。私の友人にも似たようなケースがあり、離婚には至らないまでも、頭を悩ましていたことを覚えています。
この人物の造形や揺れ動く心理状態にも、蒼井さんのアドバイスをいただきつつ、細心の注意を払いました。
この作品を、あえて今、世に問う意義はあるのですか
この事件を書こうと決めた時のテーマは、「リーダーシップとは何か」でした。刻々と変わる情勢を勘案し、的確な判断を下していくのは、誰にとっても難しいものです。しかしリーダーには、常に正しい判断が求められます。
たまたま連載が終わり、ちょうど単行本に向けて仕上げをしている頃、コロナウイルスが世界に蔓延し始めました。各国の対応はまちまちでしたが、為政者たちは専門家の話に耳を傾け、様々な要素を勘案して手を打っていきました。それがいかに難しいか。中には初期対応の誤りから、十万人以上の犠牲者を出してしまった国もあります。
まさに世界のリーダーたちが、めまぐるしく天候の変わる八甲田山に立たされている状況が今なのです。
その渦中にいると、何が正しくて何が間違っているのか誰にも分かりません。しかしリーダーや責任者は、結果だけで評価が下される厳しい立場に置かれています。
極限状態でのリーダーの決断とは何かを学ぶ上でも、本作を読んでいただきたいですね。
伊東さんは歴史小説家として戦国時代を中心に書いてきました。それが二〇一六年に『横浜1963』を上梓し、その後も『ライトマイファイア』『真実の航跡』と近代や現代に目を向けた作品を発表し続けています。本作も明治三十五年と現代を行き来する作品ですが、こうした作品を書き続けている理由は何ですか
実は少年時代からミステリーが大好きで、作家デビューして以来、いつか現代物のミステリーを書きたいと思ってきました。それを実現できたのが、日米二人の捜査官がバディとなって殺人事件を捜査する『横浜1963』でした。
それに続く『ライトマイファイア』では、「よど号」ハイジャック事件を軸に学生運動とその背後にうごめく巨大な陰謀を描き、『真実の航跡』では大戦直後の香港を舞台に、BC級戦犯裁判をミステリー仕立てで描くという難しい題材に挑みました。
『囚われの山』は私の四作目の近現代物になりますが、これまでの作品の中で、最も現代パートが多いのが特徴です。まさか自分の作品にスマホが出てくるとは思いませんでした(笑)。
私が近現代物に取り組む理由は三つあります。
一つには、これも日本人の歩んできた軌跡だからです。それを後世に伝えていくのも、われわれ作家の仕事です。「それなら専門家の書いた研究本を読めばいいだろう」とお思いの方もいるかもしれません。しかし研究本には、なかなか手が出ないのが現実です。それゆえ小説で物語を楽しんでいただきながら、近現代史の一断面を知り、それで興味のある方が参考文献に手を伸ばしていただければ幸いと思っています。つまりブリッジの役割を果たしたいのです。
二つ目としては、昨今の出版点数の過多により、戦国時代を舞台にした小説がレッドオーシャン化していることです。実は、名の通った作家の作品でも、戦国武将物はさほど売れなくなってきました。それなら自ら近現代というブルーオーシャンに斬り込んでやろうと思った次第です。
三つ目としては、今を生きる人々を描いていきたいという直截な思いです。歴史物は、当時のメンタリティや価値観を反映させた人物像を作らねばなりません。しかし近現代物は、自分が生きている時代の感情をダイレクトに描けます。それが力強い人間ドラマの推進力となるのです。おそらく作家としての本能的欲求でしょうね。
最後に、読者へのメッセージはありますか
本作は軍隊組織の暗部に切り込んだものです。こうしたものが自由に書けるのも、第二次世界大戦の敗戦によって大日本帝国が解体され、日本が言論の自由を保障された民主主義国家となったからです。
もしも独裁国家に生まれていたら、『囚われの山』のような軍部を告発する作品を発表することはできなかったと思います。
現に『死に山』は米国人によって書かれたもので、ロシア人の手になるものではありません。それはディアトロフ峠事件が、旧ソ連軍部の容疑の可能性にも触れているからです。
民主主義の旗の下で言論の自由が保障されているからこそ、われわれ作家は、かつての軍部を告発する作品を発表できるのです。それは当たり前のようでいて、実はとても貴重なことです。
今、香港では民主主義を守る戦いが繰り広げられています。いわば香港は、牙を剝いた強権主義に対し、「法の正義」を盾にした民主主義の角逐の場なのです。
われわれ日本人は、いまだ「平和ボケ」から脱せられていません。つまり最前線の危機感を共有できていないのです。だからこそこれからの時代、われわれ一人ひとりがこの問題に目を向け、民主主義を守っていかねばならない。そんな強い思いが、本作には籠もっています。