メールレター購読者さま こんにちは! 一頃、急に寒くなって、僕は丁度、福岡出張中で、霙にも降られ、短い秋だったなあと思っていたのですが、それからまた温かくなって、なんとなく過ごしやすい日が続いています。 お変わりありませんか? 僕の方はこの数ヶ月、首・肩・背中の痛みに悩まされて、往生しています。整形外科ではストレート・ネックと言われた以外は、レントゲンもMRIも特に異常なしと言われているのですが、長時間椅子に座っていると具合が悪く、ベッドで休み休み仕事をしています。人間の頭は5、6キロあるらしく、どんなに重いエレキギターでも5キロはないので、自分の首がそれより重たい物を垂直に支えているという、直立歩行動物としての人間の構造的な無理を日々感じております。。。 11月21日は、下田で三島由紀夫と海についての講演をしてきました。 三島は、1964年から亡くなる1970年まで、毎年夏に1ヵ月間、下田の東急ホテルに家族と滞在していました。ドナルド・キーンさんが、1970年に『豊饒の海』の最後の場面の原稿を三島から示された(ただ、読む?と聞かれたけど読まなかった、とのこと)のもここです。キーンさんは、それで、夏には『豊饒の海』は完成していたと思っていましたが、三島は、最後の夏の場面の為に、直前に取材した奈良のお寺の印象が薄れないうちにと、途中を飛ばして先に最後の場面を書いているので、『天人五衰』がその時点で完成していたわけではありません。 僕は、三島が執筆部屋に使っていた503号室に今回宿泊しました。その向かいには、家族と宿泊していたオーシャンビューの530号室があります。そちらも見せてもらいました。なかなか良い雰囲気でしたが、ただ、内装はまったく変わっているようです。 三島が日光浴をしたプールを見て(彼はカナヅチでした)、ビーチに降りてゆく階段も歩いてみました。 三島が下田で過ごすようになったのは、30代の終わり、自身のスランプを深刻に自覚していた頃からです。40代の三島のテクストには死の影が濃厚で、楯の会の行動も徐々に具体化していきますが、家族と時間を過ごしながら、何を思っていたのでしょうか。中年になり、精神的にも肉体的にも健康を維持するのに実は苦慮していたのではないかと僕は想像しています。下田は確かに良い場所ですが、それにしても7年連続で、夏に1ヵ月も滞在していたというのは長すぎでしょう。家族サービスも些か過剰に感じられます。下田の町には、三島と親しく交流した人々の記憶がまだ残っていますが、彼が毎朝歩いた海岸沿いの散歩道を歩きながら、その心境を思うと、痛ましいものも感じました。 インスタグラムに、僕の滞在中の動画をアップしています。(※1) 『息吹』、Audibleでお楽しみ戴けましたでしょうか?(※2) まさしく中年の体調の話が起点になっている物語ですが。 僕は、作家の割に編集者から不思議がられるほどメンタルが安定していて、そういう意味でのミドルエイジクライシスは経験せずに済んでいるのですが、どっちかというと、体の方に出るようです。元々至って健康な方なので、それはちょっと意外でした。といっても、胃が痛くなるとか、首が凝るとか、大病の類いではなく、その都度病院で看てもらっているので、ご心配には及びません。 今は新しい短篇を構想中で、五つほどアイディアがあり、そのうちの一つを年明けまでに書き上げて次の短篇集に収録しようと思っています。さて、どれにすべきか。。。 それでは、どうぞ、季節の変わり目ですので、皆さんもご自愛ください! 平野啓一郎 ■ ※1 平野啓一郎公式Instagramはこちら:https://www.instagram.com/hiranok ※2 最新短篇『息吹』は、オーディオファースト小説としてAudibleで配信中です。 作品ページ:https://www.audible.co.jp/pd/B0CLN9GW7T ■ こんにちは!スタッフの岡崎です。 今日、東京は20℃を超える気温でしたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 秋服の出番はもう終わりかと思って厚着で出かけたら、日中になって気温が上がって、汗をかいてしまいました。 さて、今日から来週にかけて、注目のイベント・出演情報が目白押しですので、順番にお知らせいたします。 ●本日11月24日(金)22:30〜、BS朝日「高見沢俊彦の美味しい音楽 美しいメシ」に平野さんがゲスト出演します。 THE ALFEEの高見沢さんと好きな食べ物や音楽について熱く語り合うという、なんとも楽しみな内容です。 今年9月のラジオ番組での共演以来、すっかり意気投合された平野さんと高見沢さん。番組の予告では、「ミュージシャンの回よりも深い音楽の話ができた」という高見沢さんの発言も…! 番組HP:https://www.bs-asahi.co.jp/ongakumeshi/ ●11月30日(木)19:30〜は「文学の森」、島田雅彦さんをゲストにお招きしての対談ライヴ配信です。メインテーマは、安部公房。生前の安部公房と会ったこともある島田さんが、当時の思い出話も交えながら安部公房文学の魅力を語ります。 テーマ作は『箱男』ですが、作品を読んでいない方にとっても楽しく学びの多い内容ですので、お気軽にご参加ください。 ご参加はこちら:https://bungakunomori.k-hirano.com/contents/c087bbe7fa56 ●12月3日(日)14:00〜は、平野啓一郎デビュー25周年記念の無料公開トークイベントを開催します! これまでに発表された小説作品・エッセイを、読者が選んだ印象的な「一節」と合わせてご紹介します。 作品のあらすじから執筆背景まで、あらためて振り返ることで、「こんな平野作品があったのか!」という発見があるはずです。 オリジナルグッズ購入者には直筆サインを入れてお届けする特典もありますので、ぜひチェックしてください。 参加方法・詳細:https://bungakunomori.k-hirano.com/events/0af0fdaac1a0 さて、後半は、「時代と文学」と題した平野さんによる講演原稿をお届けします。 この原稿、実は2020年に中国・西安で開催予定だった第5回東アジア文学フォーラムに向けて、平野さんが基調講演用に書き下ろしたものでした。 しかし、コロナウイルスの感染拡大によって中止となったため、これまで誰の目にも触れることのなかった「幻のスピーチ」なんです。 李賀の漢詩に込められた思いに迫りながら、国境を超えた文学の意義を浮き彫りにするという、ボツになるにはあまりに惜しい内容ですので、このたびメールレターで公開することにいたしました。 ぜひ、最後までお楽しみください。 ■ 「時代と文学」 第五回東アジア文学フォーラム 基調講演原稿 ===  第五回を迎えた東アジア文学フォーラムの開催を、心から喜んでいます。  今年は、新型コロナ・ウィルスの感染拡大で、大会の準備には、ひとかたならぬ困難が伴ったことと想像します。中国、韓国の実行委員の皆様、取り分け、開催国である中国の皆様には、日本の作家として、深く感謝の気持ちをお伝えしたく存じます。  ありがとうございます。  昨年末から、世界は新型コロナ・ウィルスの話題で持ちきりで、この間、多くの犠牲者が出ました。現在もまだ各地で進行中であり、予断を許しません。  報道は、各都市、各国家の対策競争の様相を呈していて、それがナショナリズムを高揚させることもあれば、国内に大きな対立を引き起こすこともありました。  他方で、文学に携わる私たちが注目するのは、いつでも一人の人間の生です。小説は中国人や韓国人、日本人、或いは感染症患者といった「カテゴリー」を主人公とすることは出来ず、必ず固有名詞を持った、具体的な個人から出発しなければなりません。  この間、世界中で、日々、あまりに多くの物語が生まれました。  ロックダウンされた都市の住民、家族を亡くした人、自らが感染して九死に一生を得た人、医療従事者、宅配業者の配達員、スーパーの店員、コンサートが出来なくなった音楽家、会社が倒産した経営者、解雇された労働者、親の最期を看取ることの出来なかった子供、夫に暴力を振るわれた妻、オンラインでしか会えない恋人たち、家賃を払えず転居を余儀なくされた家族、学校に通えない子供たち、本を買えない読書人、……  私たちの社会は、これらの非常に複雑で、多様な心の傷を既に抱え込んでおり、今後も抱え続けることになります。それらは相互に影響し合い、絡み合っています。個人的な問題であるのと同時に家族の問題であり、また、社会の問題でもあります。  他方で、この未曾有の危機の最中に、私たちは、休息の喜び、家族の時間の回復、環境破壊の一時停止、国境を越えた連帯、資本主義の再考、テクノロジーの進歩の恩恵など、幾つかの希望も見出しました。  私自身の話をしますと、丁度、十ヶ月かがりの新聞連載の最中でしたので、東京に緊急事態宣言が出されてからも、小説執筆の仕事自体は、あまり変化がありませんでした。  執筆中の小説『本心』の主人公は、「リアル・アバター」という、物理的世界での代行業を仕事にしていてます。依頼者の代わりに、買い物に行ったり、出張に行ったり、危険な場所に視察に行ったりするのですが、この近未来小説的な設定は、図らずも、このパンデミック下で部分的に現実化しました。  他方、文学シンポジウムや講演などは軒並み中止または延期となり、新聞や雑誌の取材も、すべてオンラインに移行しました。  妻の仕事もほとんどが在宅となり、八歳と六歳の子供たちの学校も休校となったため、二ヶ月半の間、家族四人での蟄居生活が続きました。東京は、武漢や欧米の都市のようなロックダウンを行いませんでしたが、実感としては、それとかなり近いものがありました。街からは人の姿が消え、電車はガラガラで、多くの店が休業しました。  日本では、公立の小中学校、高校は、ただ休校で、オンラインの授業もなく、私は、子供たちのストレスを心配しましたが、案外無邪気にこの状況を楽しんでいて、毎朝、卵やソーセージを焼いて、食事の準備を手伝ってくれるようになり、日中は自由に勉強をしたり、家の中を走り回って遊んだりしていました。  私は、夕方になると、一旦仕事を止めて、人気のない公園を、毎日、子供たちと散歩しました。その度に、ふしぎな感覚になりました。彼らが生きてゆく未来の世界を想像すると、新型コロナ・ウィルスへの感染や今後数年の生活とはまた違った、大きな不安に駆られましたが、それでも、緑の木々は常と変わらず生い茂っていて、春風に靡くその葉音は、得も言えず心地良いものでした。世界的な経済活動の低下によって、地球環境は一時的に改善したようで、東京の空気も、恐らく多少は良くなっていたのでしょう。  子供たちは、普段以上に両親と多くの時間を過ごしていることを喜び、この静かな公園をほとんど独り占めにしていると錯覚しながら、駆け回っていました。  幸いにして、罹患することのなかった私たち親子にとっては、この日々の散歩は、確かに、忘れ難い思い出となっています。  私たちが、2020年代の社会を舞台に小説を書こうとするならば、今回のパンデミックを、なかったことには出来ないでしょう。登場人物たちの生きる世界が現実の反映であるならば、小説の中でも、当然にそれは起こることであり、起こったことです。  私たちは、一体、どのような経験をした人物を登場させ、どのような会話をさせるでしょうか? それを聴く別の登場人物は、どんな反応を示すでしょうか? その場面の描き方には、小説家の思想が否応なく表れるはずです。  この間、話題となったのは、カミュの『ペスト』やデフォーの『ペストの記憶』といった、感染症を直接題材とした古典的な文学作品でした。  これらの作品は、私たちを、現代という時代に孤立させることなく、人類的な歴史と接続することを可能としてくれました。同時に、その共有は、やはり今日の私たちを連帯させる媒介でもあるのでした。    国境を越えた協力の中で、印象的だったことの一つは、日中間の支援物資のやりとりに詩が添えられたケイスでした。  元々は、二月に日本から中国へと送られたマスクなどの支援物資に、「山川異域 風月同天」という漢詩が添えられたことが発端であったようです。これは、八世紀の初めに、天武天皇の孫で、信仰心の厚い仏教徒であった長屋王が、唐の衆僧に布施した千枚の袈裟に刺繍した言葉で、鑑真は、これに心を動かされて来日を決め、その一生を日本で過ごすこととなります。  他方、三月下旬に大連から北九州市に届いたマスクの箱には、「春雨や身をすり寄せて一つ傘」という夏目漱石の俳句が記されていて、大きな話題となりました。また、ジャック・マー氏からの日本への寄付にも、唐代の詩人王昌齢の送別詩「送柴侍御」の一節「青山一道 同担風雨」が添えられるなど、以後、支援とセットになった詩のやりとりは活発になり、中国政府が韓国やイランなど、各地に支援物資が送る際にも、それぞれにゆかりのある詩が添付されていたようです。いずれも、短い詩の引用ですが、言葉自体にも、その言葉を敢えて選び、相手に贈るという行為にも、胸を打たれるものがありました。    漢詩は残念ながら、日本では一般的に親しまれることがほとんどなくなってしまいました。漢詩を愛し、自ら漢詩を書いている明治の作家・森鴎外も、「漢詩は有体にいはば早晩滅びるねエ……」と、1897年の『太陽』のインタヴュー(「今の文学界」)で、寂しい予言をしています。長屋王の言葉を、支援物資に添えることを思いついた人は、日本でも特別に教養のある、気の利いた人だと感心され、多くの日本人は、その報道にハッとさせられたのでした。  しかし、それでも、ハッとする程度には、日本人が漢詩の何たるかを理解しているのは、高校の国語の授業で、今も杜甫や李白の詩を読んでいるからであり、また、日本史の授業でも遣隋使や遣唐使が日本に齎した中国の文化的な影響の大きさを学んでいるからです。中国には非常に長い歴史がありますが、「唐の長安」という都市は、空海のような人物の存在もあって、日本人の想像力を特権的に刺激してきたように思います。  私自身は、そうした学校教育の延長として、中国の歴史的文化に関心を持ち続けた、というわけではありませんでした。私が漢詩と再会したのは、高校時代から、詩そのものに興味を抱くようになり、おかしな話ですが、ボードレールやランボーといったフランスの象徴派の詩人たちの詩集を読むようになったからです。というのも、近代化以降、日本のフランス文学者たちには、フランスの近代詩を、漢語を多用し、漢詩の骨格を備えた華麗な文体で翻訳することが、一つのお家芸のようになっていたからです。  私は、日本語の中に構造的にも、語彙に於いても深い影響を留めている漢文に改めて興味を持ち、『唐詩選』など、文庫で手軽に読める漢詩を読むようになりました。そして、唐代の詩人で、私が特に好きになったのは、李賀でした。  李賀が好きだという日本人作家は案外いまして、私の愛読した泉鏡花や三島由紀夫も、その影響を語っています。  李賀は、ご存じの通り、二十七歳で夭逝した詩人で、私はその大きな時空間の中で捉えられた燦然とした自然描写や、幻想性、人生の挫折や家族との別離を思う繊細な心理描写など、彼の表現の独特の美しさに強く魅了されました。  私の第二作目となる長編小説『一月物語』は、日本のロマン主義の詩人北村透谷を主人公のモデルにしながら、古今東西のあらゆる〝ロマン主義的なるもの〟を抽出して混ぜ合わせたような作品ですが、李賀の代表作である「蘇小小歌」も、大きなインスピレーションとなり、作中にも実際に引用しました。  私はここで、「蘇小小歌」とはまた違った魅力の「箜篌引」という李賀の詩を一編、紹介したいと思います。 「箜篌」というのは、古代東アジアに広まっていた竪琴のことです。 公乎公乎,提壶将焉如。屈平沉湘不足慕, 徐衍入海诚为愚。公乎公乎,床有菅席盘有鱼, 北里有贤兄,东邻有小姑,陇亩油油黍与葫, 瓦甒浊醪蚁浮浮。黍可食,醪可饮,公乎公乎其奈居, 被发奔流竟何如?贤兄小姑哭呜呜。 (公や 公や  壺を提げて将に焉くに如かんとする  屈平は湘に沈む 慕うに足らず  徐衍は海に入る 誠に愚と為す  公や 公や  牀に菅席有り 盤には魚有り  北里には賢兄有り  東隣には小姑有り  隴畝には油油たり 黍と葫と  瓦甒には濁醪あり 蟻浮浮たり  黍は食う可く  醪は飲む可し  公や 公や  其れ奈居や  被髪して流れに奔る 竟に何如せんとす  賢兄小姑 哭すること嗚嗚たり)  この詩は、紀元前5~4世紀の朝鮮の詩人麗玉の民謡に基づいて作られた、とされています。麗玉の元々の詩は、異常に痛ましい内容です。  麗玉は、古代朝鮮の首都を流れていた大同江の渡し場近くに、夫の霍里子高という船頭と暮らしていました。ある日、その夫が悲痛な面持ちで帰宅したので、理由を尋ねると、白髪の老人が半狂乱で河の一番深いところにまで進んでいって、そのまま何かを呟きながら溺死してしまったというのです。老人を追ってきたのは、「箜篌」を携えた彼の妻で、必死に引き留めようとしたものの、間に合いませんでした。  妻は慟哭し、「箜篌」を演奏しながら「公無渡河歌」という歌を歌い、直後に、夫のあとを追って入水してしまいます。霍里子高は、助けようとして、急いで川に飛び込みましたが、激流に呑まれ、忽ちのうちに彼女の姿は見えなくなってしまいました。  後に聴いたところによると、彼らには一人娘がいましたが、道で宝石の指輪を拾ったところ、泥棒との濡れ衣を着せられ、連れ去られて奴隷にされてしまった、というのです。当時は、他人の物を盗んだ人間はその持ち主の奴隷となる、という法があり、娘はそれを悪用した奴隷主の罠に嵌まってしまったのでした。  夫の霍里子高が再現してみせた「公無渡河歌」を聴いた麗玉は、彼らに心から同情し、「箜篌引」という曲を作ります(『楽府詩集』26「相和歌辞」)。  これは後に、漢訳されて唐にまで伝わりました。 公無渡河 公竟渡河 墜河而死 當奈公何 (公よ河を渡ること無かれ  公は竟に河を渡り  河に堕ちて死にぬ  当に公を奈何にすべき)  李賀が題材としたのは、この民謡でした。  麗玉と霍里子高の夫婦が経験した出来事と、そこから生まれた詩の痛ましさに比して、李賀の詩には、そこかとないユーモアがあります。最も大きな違いは、麗玉の詩では、入水した男が既に亡くなっているのに対して、李賀の詩では、まだ死の直前であることです。そして、詩の主題は、嘆きの言葉ではなく、自殺しようとする彼を引き留める言葉です。語り手も、妻ではなく、霍里子高でもなく、たまたま近くにいた人のように読めます。  恐らく中国では、この詩については、既にあらゆる研究がなされ尽くしているでしょうが、私は一読者として、少し自由に想像をしてみたくなりました。  李賀がどの程度詳しく、原作の背景を知っていたかは詳らかにしません。しかし彼は、一人の半狂乱の男性が河に入ってしまう情景を思い浮かべて、何よりもまず、引き留めなければならないと感じたのでしょう。孟子の言う「惻隠」の情です。しかし、その説得は、切迫した調子ではなく、美味い食べ物もあり、酒もあり、心配している親族もいる、という、敢えて言えば、極めて世俗的な内容です。  ここには、娘を誘拐されて奴隷化されるという、凡そ耐えることの不可能な絶望的体験は一先ず捨象され、ただ、理由も分からず死のうとしている人を、ともかく止めようとする言葉があるだけです。果たして、この呼びかけは効果的でしょうか? あまりに気楽だという見方もあるでしょう。しかし、思いつめた人間の心に同調し、共感する代わりに、その深刻さを宥め、緊張を和らげて、死ぬことから一瞬、視線をそらせるような他者の存在は、大きな慰めとなるかもしれません。なぜなら彼なら、自分の話を聞いてくれるかもしれないと思えそうだからです。  確かに、李賀の詩に於いては、麗玉の詩から多くのものが失われています。しかし、新たに付け加わったものもあります。  李賀は一体、この詩によって、誰を引き留めようとしてしょうか? 大同江の老人は、既に何百年も前に亡くなっています。しかし、李賀と同時代に、自殺を思いつめていた、苦悩の最中にある読者には、彼の言葉は届いたかもしれません。そして、同時代人だけでなく、今日の私たちにも、この詩の持つ、「深刻さ」に対する人間的な大らかな優しさは、胸を打つ力を持っています。それは、同じ李賀の「箜篌」の詩でも、自然と音楽との美的な、陶酔的な交感を歌った「李憑箜篌引」とは、非常に異なった世界であり、どんな自殺の動機に見舞われている読者をも包摂し得るように見えます。  更に想像を逞しくするならば、李賀が、最も自殺を引き留めたかったのは、他ならず、彼自身かもしれません。或いは、彼の中の何かに向かって語りかけている、とは読めないでしょうか。  作家は、現代にあって、まさに現代の物語を書きます。それは、作家と読者とを結び合わせ、登場人物と読者とを結び合わせ、また読者と読者とをも結び合わせるでしょう。しかし、作家の書くものが、何か真に人間的なものであるならば、それは時代と場所を超えて、同じ境遇にある読者の心をも打つでしょう。  私たちが経験しているのは、けれども、更に不思議に刺激的な出来事であり、言葉はいつか、それ自体の起源さえ乗り越えて、新しい表現の母体となり、乱反射するように四方八方へとその可能性を開いてゆくのだ、ということです。  私たちが住む文学という世界で日々、起きているのは、こうした出来事ではないでしょうか。そのことを、時代を経て、様々な文学が行き交ったこの西安という都市で噛みしめられることの喜びを感じます。 ■ 〈お知らせ〉 ◎【文学解説】平野啓一郎のナビゲーションで、古今東西の世界文学の森を読み深めています。 https://bungakunomori.k-hirano.com/about ◎ インタヴュー、講演録、対談などが読める平野啓一郎公式サイトはこちらから https://k-hirano.com/articles ◎「平野啓一郎の文学の森」について https://bungakunomori.k-hirano.com/about ◎ 「分人主義」公式サイトはこちらから https://dividualism.k-hirano.com/ ◎ 平野啓一郎へのご質問はこちらからお寄せください https://goo.gl/forms/SSZHGOmy2QBoFK7z2 ■ 〈近年の刊行書籍〉 『三島由紀夫論』(2023/4/26刊行) https://www.shinchosha.co.jp/book/426010/ 『死刑について』(2022/6/17刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4000615408/ 『小説の読み方』文庫(2022/5/11刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4569902197/ 『ある男』文庫(2021/9/1刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4167917475/ 『本心』(2021/5/26刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4163913734 『「カッコいい」とは何か』(2019/7/16刊行) https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B07V2MDQR5/ 『マチネの終わりに』文庫(2019/6/6刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4167912902 『本の読み方 スロー・リーディングの実践』文庫(2019/6/5刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4569768997 エッセイ・論考集『考える葦』(2018/9/29刊行) https://amzn.to/2QuH2Bg 平野啓一郎 タイアップ小説集 〔電子版限定〕 (2017/4/27刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/B07252SYDJ ■ メールレター バックナンバー http://fcew36.asp.cuenote.jp/backnumber/hirano/mailletter/ 平野啓一郎公式サイト https://k-hirano.com/ 平野啓一郎公式Twitter(@hiranok) https://twitter.com/hiranok 作品公式Twitter(@matinee0409) https://twitter.com/matinee0409 英語版Twitter(@hiranok_en) https://twitter.com/hiranok_en Instagram https://www.instagram.com/hiranok/ LINE https://line.me/R/ti/p/%40hiranokeiichiro note https://note.mu/hiranok ■ メールレター配信停止をご希望の方は、下記メールアドレスに空メールをお送りください hiranomailletterresign@fcew36.asp.cuenote.jp その他、お問合せはこちらまでお送りください info+hirano@corkagency.com