さま こんにちは! コロナは相変わらずの状況ですが、いかがお過ごしでしょうか? お盆も終わってしまい、もう夏休みも終わりだと思うと寂しい限りです。 今年の夏は、あまり外に出ませんでしたが、その分、やっっっっっっっっと、三島由紀夫論の原稿の見直しが終わり、これからゲラが出ます。長かった。……構想・執筆20年の大作で、1000枚以上になりました。 大体、僕を放っておくと、何でも1000枚とかになってしまうのですが。最近、小説ではスリム化に努めていたのですが、久しぶりにこの分量になりました。しかし、その分、読み応えのある内容になっていると思います。三島なんて、もう、何もかも研究し尽くされているようにも思われていますが、意外とそうでもありません。僕は研究者ではないので、先行研究に全部目を通しているわけではないですが、これまで指摘されていなかったことも少なからずあると思っています。 そして、主題は三島の生と死の思想で、その存在論です。三島は実際、取り組み甲斐のある作家で、この本を書くために仏教も、日本の思想史も、バタイユもサドもクイア・スタディーズも、60年代の政治状況も、日本浪曼派も、神道も、……と、勉強し直したことが多々あります。そういう作家は、やはり、偉大なのではないでしょうか。批判的に論じた部分も少なからずあるのですが。 全集に含まれている対談は、特に、三島の思想を理解する上で重要でした。あれ、手軽に読める形になっていないのですが、文庫化すると良いのですが。…… 何はともあれ、乞うご期待!!   で、三島論がやっと一段落したので、今は短編小説の準備に取りかかっています。既にアイディアはかなりあり、参考になるような本を読んでいるところです。少なくとも、一作は今年中に発表できると思います。   それでは、どうぞ、残暑にお気をつけ下さい!   平野啓一郎 ■ こんにちは、スタッフの岡崎です! まだまだ暑さが続きそうですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。僕は近頃、11月18日の映画公開に向けて、『ある男』を読み直しています。 先日開催された『空白を満たしなさい』のイベント*1で、平野さんが「その物語を象徴するようなクライマックスを思い浮かべてから書き始める」という話をされていたのが印象的で、平野さんが思い浮かべた『ある男』のクライマックスはどこなのだろう?と考えながら読んでいます。皆さんはどのシーンだと思いますか? 「平野啓一郎の文学の森」では10月から『ある男』をテーマ作として読み深めることが決まりました。僕が気になっているクライマックスの話も聞けるのではないかとワクワクしています。 さて、後半では「三島戯曲の世界」をお届けします。こちらはフランスで出版予定の三島由紀夫の戯曲集に、平野さんが序文として寄せた文章です。代表的な戯曲作品である『サド侯爵夫人』を具体的に解説しながら、その真髄に迫っています。 文学者として歴史に名を残す三島由紀夫の、あまり知られていない「戯曲」の魅力。なかには「三島の小説が滅んだとしても、戯曲は残るだろう」と考える人も多く、三島の文学作品より戯曲に魅了される場合もあるようです。 それではお楽しみください! ■ *1 「物語のつくりかた」 note主催のイベント。ドラマ『空白を満たしなさい』最終話放送直前に、平野啓一郎が小説の執筆背景を語りました。 ↓アーカイヴ映像はこちら https://youtu.be/5pHyAeavGGQ ↓イベントレポートはこちら https://note.com/events/n/n4f08ed5d1017 ■ 「三島戯曲の世界」 ※フランスで出版予定の三島由紀夫戯曲集に寄せた序文です ===  昔、さる日本の著名な音楽家が、リヒャルト・シュトラウスの歌曲「万霊節」を評して、「この比類のない美しさと清純さは、彼の壮大な交響詩が滅ぶことはあっても、おそらく永遠のものとして残るであろうと思われる。」と語ったことがある。  異論は大いにあるだろうが、ともかく、一般に過小評価されているリヒャルト・シュトラウスの歌曲の素晴らしさを伝えんとするその熱意は伝わってきて、この言い回しは有名になり、その後、様々なヴァリエーションを生んだ。  その一つに、「三島の小説が滅んだとしても、戯曲は残るだろう。」というものがある。これまた、異論があろうが、興味深いことに、これを口にする人たちは、そもそも三島文学のファンというより、どちらかというと、三島の小説が苦手だ、という人たちである。見方によっては、彼らでさえ、三島戯曲には、何か否定し難い魅力を感じていると言えなくもない。  三島は日本では、今日でもよく読まれている作家で、2020年の没後50年の記念の年には、映画やテレビの特集番組が何本も製作された。私もその幾つかに出演したが、反響は大きかった。  戯曲の上演も今以て盛んであり、演出家や俳優たちは、三島の戯曲に取り組むことを、一つの「チャレンジ」と捉えている。『近代能楽集』や『サド侯爵夫人』、『わが友ヒットラー』等を演出した蜷川幸雄も、そのようなコメントを残している。  三島戯曲は、一体、何が難しいのか? 三島は、自らの戯曲の理想として、度々ラシーヌに言及している。 「今まででいちばん感動した戯曲は、第一がラシイヌの『フェエドル』で、第二がポルト・リシュの『昔の男』で、第三がモオリヤックのアスモデだ。(略)ギリシャ芸術の特徴は、リリシズムと感傷とロマンチスムの完全な欠如だが、ラテン民族には、そこから来る硬質な透明さが根強い伝統になっているのが癪にさわるくらいである。」(『戯曲を書きたがる小説家のノート』)  これは、二十四歳の時の言葉だが、三島の戯曲観の根底には、こうした考え方が根強くあった。彼は、フランスの新古典派が理想としたようなヴィンケルマン的な古代ギリシアのイメージに、生涯、憧れ続けた作家だった。そして、シェークスピアについては、「何とはなしにあのバロック臭がいやである。」と評価しない。この無関心も一貫していた。  三島戯曲の特徴は、何よりも対話の言葉こそを重視するもので、他方、あれほど身体性に拘り続けた作家であるにも拘らず、舞台上での俳優の動的な活躍は、ほとんど期待されていない。  その典型がフランスでも何度も上演されている『サド侯爵夫人』である。この戯曲は、本として読んでいると、よく理解出来るのだが、舞台で見ると、台詞についていくのに骨が折れる。  例えば、全篇に亘ってサドは不在であり、その存在は、妻であるルネを始めとする登場人物たち――全員女性――の言葉に委ねられているのだが、殊にその回想が描写的に語られる場面では、戯曲を黙読していた時には、生き生きと立ち上がってきたサドの姿が、台詞を口にする役者の身体と干渉し合って、うまく像を結んでくれない。観客の意識は、どうしても目の前の役者に集中してしまい、サドに到達しない。そのもどかしさこそが、この芝居だというのは一理あるが、先ほどの三島の主張を引用するならば、彼の目指す言葉の「硬質な透明さ」にとって、メディアとしての役者の身体は、舞台上で存在感を増せば増すほど、ますますサドの前に立ち塞がる不透明な物体のように感じられる。  三島戯曲の主題は、突き詰めれば一言で言えるほどに単純で、『サド侯爵夫人』に関しては、何故あれほど獄中の夫に対して献身的だった妻が、いよいよ彼が出獄すると、あっさりとその許を去ってしまったのか、という疑問に端を発している。しかし、その心理の解明は、簡潔な数学的定理の複雑極まる証明のように込み入っており、逆説が折り重なり、詩的なレトリックがふんだんにちりばめられた文体で綴られることになる。それを深く理解し、正確に表現するためには、役者一人一人が、ピアノやヴァイオリンのアーティキュレーションのレッスンのように、演出家と一節ごとに表現のニュアンスを共有し、クレッシェンドやスラー、ピアノやフォルテ、装飾音的言葉のアクセントなどを確認していくより外はないかのようにさえ思われる。  ところが、演出家と役者のテクストの理解が不十分であると、役者はよく意味の分からない台詞を口にし続けることになり、それでも棒読みは出来ないので、焦燥とともにやたらと激しく怒鳴り合うようになる。勢い、台詞は乱暴な一方調子となり、それが議論の相手にも伝染して、芝居全体がわめき合いになってしまう。こうなると、観客はまず以て三島戯曲の緻密な論理についていけなくなり、そのユーモアやアイロニー、色気の陰翳を取り逃がしてしまう。――私は、『サド侯爵夫人』を国内外で何度となく見ているが、これは、しばしば起きている事態である。人の動きが極端に少ないこの戯曲の演出に於いても、同様の事態が生じ得る。つまり、過剰演出は、観客が言葉に留まり、言葉から出発する想像力を阻害してしまうのである。  こうした状況は、三島が思想的に重視した「絶対者」という存在と個人、更にはメディアとの関係から類比的に理解される。三島の天皇主義に於いては、天皇と国民との関係が重視されるが、同時に天皇に根差した文化(言葉)がメディアとしても尊重されており、文化を通じて天皇に到達しようとしつつ、他方では天皇との神秘的な一体化が夢見られている。この構図は、舞台上でのサドという絶対的な存在に、観客が、登場人物たちの言葉を通じて至ろうとする一方で、直接的な想像力を以てその存在に接近したいと感じさせられる状況とよく似ている。  見方によっては、これは、三島戯曲の難点とも言えようが、だからこそ、その取り組みの創意工夫が、演出家にとっても役者にとっても、「チャレンジ」なのだとも言えよう。この戯曲が、幾度となく再演されてきた理由である。  『サド侯爵夫人』とは対照的に、三島戯曲のもう一方の代表作『近代能楽集』は、ラシーヌとはほど遠く、謡曲の翻案であるだけに、むしろ、戯曲を読み、論理を辿ることでは想像の及ばないその飛躍的な物語を、役者と舞台の存在こそが体験可能としている。  能役者と同様、そこでも、役者の身体は必ずしも躍動的ではないが、その現前そのものが、時空を越え、生と死、夢と現実の境界が解体された世界の圧縮点となっている。彼らは、その特殊な空間を生きさせられている、というより、彼らの生自体が、その特殊な空間を一言ごとに、また一つの動作ごとに出現させている。ここには、「絶対者」という存在に収斂させていかないが故に、より自由な創作の可能性を追求し得た、三島のもう一つ別の作品群の広がりが見えている。これもまた、なるほど、演出家にとっても役者にとっても「チャレンジ」であるには違いない。  三島戯曲は、この両極端の二作にともすれば代表されがちであり、殊に翻訳の数の制限の故に、海外の演劇ファンにとっては、その全貌を掴み難い。今回、私も協力した本書の戯曲の選定に当たっては、そのような状況から、これまで仏訳されていない作品の中でも、現代のフランス語圏の人々にとって十分に楽しめる内容であり、且つ、三島戯曲の多様性、更には三島という作家の可能性を再発見し得るような作品を選ぶように工夫した。『サド侯爵夫人』と『近代能楽集』との間に広がっている沃野と言っても良い。  個々の作品解説は、翻訳者に委ねるとして、以下、作品鑑賞の妨げとならない程度に、簡単な紹介を付しておきたい。 ・『若人を蘇れ』(1954年)  政治思想運動を急進化させていった1965年以降の三島は、特攻隊の美化に顕著なように、「悲劇的なもの」としての第二次大戦の体験を、自らの思想的な根拠としてゆくが、それ以前の三十代の彼は、実は、ほとんどノンポリに近い態度で、戦争を遠い昔の思い出話のように語っている。  実際のところ、三島の戦争体験はどのようなものだったのか? 「できるかぎり客観的に、又リアスティックに、当時の生活を再現しようと試みた」(「『若人よ蘇れ』について」)という本作は、大戦末期の東京の大学生たちの姿が生き生きと描出されており、時代の証言としても興味深い。三島の体験はこの禍中にあったが、無論、本作にのみ収斂されるわけではなく、『仮面の告白』や『金閣寺』、『英霊の声』など、複数の小説作品との響き合いの最中にこそ、その真情が探られるべきであろう。  死の危機下でのみ価値を与えられる恋愛という、晩年の『春の雪』にまで至る三島の基本的な恋愛観が提示されている点も見逃せない。 ・『白蟻の巣』(1956年)  第二次大戦後、日本人に海外旅行が解禁されたのは、1964年のことだが、三島はそれ以前の1951年から52年にかけて、朝日新聞の特別通信員という立場で、世界一周旅行に出ている。『仮面の告白』を刊行し、『禁色』に取り組んでいた時期である。  紀行文『アポロの杯』は、十代の頃から、世界文学の強い影響下にあった三島が、数年前まで敵対していた現実の「世界」を発見する興奮に満ちた記録である。それは、三島が最後は、天皇主義者として「日本」へと反動的に回帰した事実と皮肉なコントラストを為している。  『白蟻の巣』は、その旅行中のブラジル滞在の成果であり、移民というマイノリティの立場に置かれた日本人の姿は、三島の他の著作の「日本人」論とは大きく異なっている。  逆説に富んだ恋愛心理の解剖は、三島の得意とするところで、殊に「絶望」にこそ希望を、「不幸」に幸福を見出そうとする登場人物たちの生の倦怠感と、何かしら強烈なものを待望する心情は、戦後社会のニヒリズムを生きようとしていた若き日の三島の内面世界を反映している。また、すべてを「ゆるす」が故の無気力は、直後に執筆される代表作『金閣寺』の老師の人物造型を想起させる、三島の戦後批判となっている。 ・『喜びの琴』(1964年)  三十代後半、三島は、右翼の脅迫を受けた「風流夢譚」事件、作品のモデルからプライヴァシーの侵害で訴えられた「宴のあと」事件と、立ち続けにトラブルに見舞われ、文壇でも社会でも孤立感を深めてゆくが、更にそこに加わったのが、長年、仕事を共にしてきた文学座が、戯曲の思想的な理由から反発し、袂を分かつこととなった「喜びの琴」事件だった。  ミステリー風の謎解き、ドンデン返しが仕組まれた娯楽性の高い内容ながら、「公安」権力という存在についての政治的考察は、後の民兵組織「楯の会」の活動を支える思想を準備した。  列車テロという、起こる予定であるが、起こる可能性のないことが本当に起こってしまう不思議、という、三島らしい主題が強い印象を残す。左右両翼の陰謀渦巻く表面上のプロットに対して、作中で聞こえてくる「喜びの琴」は謎めいて象徴的である。 ・『癩王のテラス』(1969年)  三島最後の戯曲であり、死の前年に書かれている。彼が、生涯拘り続けた肉体と精神との相克という主題が、三島自身の芸術論として徹底して追求されている。  同時期に執筆していた『豊饒の海』第三巻『暁の寺』と同様に、三島の目は、この時期、仏教への関心とともにアジアに向いており、日本対西欧という二元論で捉えられがちな彼の視界の広がりに、十分に開拓しきれなかった可能性が感じられる。  クライマックスの「肉体」と「精神」との対話は、あまりにも観念的で、戯曲を読む限り、舞台化は困難とも思われるが、2016年の宮本亞門による演出は、近年の三島戯曲の舞台化の中でも傑出した出来映えで、主役の肉体の存在感には異様な迫力が漲り、観客を圧倒した。  フランス語訳を通じて、フランス人演出家の手により舞台化されることが楽しみな一作である。  本書がフランスに於ける三島再評価の一助となれば幸いである。 ■ 〈お知らせ〉 ◎「平野啓一郎の一節週めくりカレンダー2023」9月14日発売予定です! 平野さんの小説作品に登場した一節で作り上げる「もっと気軽に、小説を日常で持ち運べるカレンダー」というコンセプトで製作していて、おかげさまで、今年は3年目を迎えます。皆さまからのリクエストをもとに、既刊15の小説作品、選りすぐりの評論・エッセイ4冊に登場した一節を掲載いたします!この2023年版カレンダーに掲載したい、お好きな一節を教えていただけませんか? 投稿方法はTwitterで、ハッシュタグ「#平野啓一郎の一節週めくり」をつけて投稿いただくか、Twitterアカウントをお持ちでない方は、下記フォームよりご入力くださいませ。 ↓一節投稿フォームはこちら(募集は、9月15日 23:59〆切) https://forms.gle/5dKYyd4zgwVwSJ148 ◎【文学解説】平野啓一郎のナビゲーションで、古今東西の世界文学の森を読み歩く「文学の森」 小説家の案内で、古今東西の文学が生い茂る大きな森を散策する楽しさを体験してみませんか? https://bungakunomori.k-hirano.com/about 次回のライヴ配信は、9月30日(金)19時半〜 「平野啓一郎がQ&Aで語るトルストイ『アンナ・カレーニナ』」 ◎ 【2022年11月18日(金)公開】映画『ある男』特報映像&第一弾ビジュアルが解禁されました! https://movies.shochiku.co.jp/a-man/ ◎ インタヴュー、講演録、対談などが読める平野啓一郎公式サイトはこちらから https://k-hirano.com/articles ◎ 「分人主義」公式サイトはこちらから https://dividualism.k-hirano.com/ ◎ 平野啓一郎へのご質問はこちらからお寄せください https://goo.gl/forms/SSZHGOmy2QBoFK7z2 ■ 〈近年の刊行書籍〉 『死刑について』(2022/6/17刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4000615408/ 『小説の読み方』文庫(2022/5/11刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4569902197/ 『ある男』文庫(2021/9/1刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4167917475/ 『本心』(2021/5/26刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4163913734 『「カッコいい」とは何か』(2019/7/16刊行) https://www.amazon.co.jp/ebook/dp/B07V2MDQR5/ 『マチネの終わりに』文庫(2019/6/6刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4167912902 『本の読み方 スロー・リーディングの実践』文庫(2019/6/5刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/4569768997 エッセイ・論考集『考える葦』(2018/9/29刊行) https://amzn.to/2QuH2Bg 平野啓一郎 タイアップ小説集 〔電子版限定〕 (2017/4/27刊行) https://www.amazon.co.jp/dp/B07252SYDJ ■ メールレター バックナンバー http://fcew36.asp.cuenote.jp/backnumber/hirano/mailletter/ 平野啓一郎公式サイト https://k-hirano.com/ 平野啓一郎公式Twitter(@hiranok) https://twitter.com/hiranok 作品公式Twitter(@matinee0409) https://twitter.com/matinee0409 英語版Twitter(@hiranok_en) https://twitter.com/hiranok_en Instagram https://www.instagram.com/hiranok/ LINE https://line.me/R/ti/p/%40hiranokeiichiro note https://note.mu/hiranok ■ メールレター配信停止をご希望の方は、下記メールアドレスに空メールをお送りください hiranomailletterresign@fcew36.asp.cuenote.jp その他、お問合せはこちらまでお送りください info+hirano@corkagency.com